葉っぱちゃんのすごいメッセージ


植物に詳しい方々の話を聞きながら

植物を見て回る時間を満喫。

いろんな植物たちの生き方が知れて、とっても面白かった。


それと併せて、なんだか

とても象徴的なヒントをいくつか得られたのです。

ラクウショウの木。仏像のように乱立して隆起してるのは、奥の木の根っこなのです。酸素が欲しくて地上に伸びてくる「気根」というらしい。


気に入った植物の葉っぱを選んで持ってこよう!というので

パッと見たときに気になった、3枚が調和的な葉を選んで持って行ったの。

まだ若くて新しくて、ピンとした葉っぱ。


でも、ものの20分程度で、

私の手の中にあるうちに、しなしなと萎んでいって、

クッタリとしてしまった。


ああやっぱし、木に生えてる時が一番いいよね、

それが君の本来の場所で、本来の姿なのにね

私が摘み取ったあまりに、元気のない姿にしてしまったなあ、と。


weezerの「butterfly」の歌詞に近しいことを思ってしまった。

(蝶を採って、ガラス瓶に詰めておいたら翌朝死んでいた、

僕は君を傷つけるつもりなんてなかったのに・・・という比喩の歌)



何かを所有しようとすることは、

「所有されるもの」の力を奪ってしまうことで。

そんなことをしてしまうくらいなら、

本来の場所にいる姿を、離れたところから眺めていた方がいい。


――そう心底思ったんだけど、


生きとし生けるものは、他のものの役に立って死んで、

でもそれこそが命の循環でもあり

葉っぱはまた土に還って、次の命を生み出すからね、


という話を聞いて


そうか。私の手に摘み取られたことを

「なんたる不幸」「テメーこのやろー!」と思っているかどうかは

この葉っぱちゃんにしか分からないことで、


こちら側の都合いい考えかもしれないけど、

「いいのよ、あなたに大事なメッセージを教えられたのなら」と

微笑んでくれているかもしれないと

泰山木の花は3日間の命。毎日開いたり閉じたりしながらながら、今日はオス、明日はメスと変化するらしい。植物の生き残りの知恵はすごいね


誰かに自分の在りようまで変えられ、

他人のために、誰かの役に立って生きることが

はたして必ずしも、不幸とは限らず。

むしろ、それは無上の喜びかもしれず。



優先順位は変わってもいいことも

変わらないときは、その場所にいればいいことも

誰かの幸せは、決して他人には測れないことも



小さな体で

葉っぱちゃんは教えてくれたのでした。

感謝して土へ

人の生き方や、人付き合いとかも同じだよね。


誰かに運命を変えられた(あるいはそれが運命だったかもしれない)人が、

本当はどう思っているのか。

それは決して一様ではなく、他人には分からない。


人と関わることは、イコール、振り回してしまうことで。大小はあれど。


自分の気持ちや生き方を大事にしながら

他人の気持ちや生き方も大事にするのは

難しいときもあって。

どっちかを主軸に置くと

どっちかが我慢してしまわざるを得ないこともあって。



誰も我慢しないでいられれば一番いいけれど。

気持ちのいい譲歩や、持ちつ持たれつで

保たれている関係も

たくさんあるのだろうな。



あたいは強いから、我慢する側を担うわね。

というのでも

あたいはワガママだから、我慢しないわね。

というのでもなく


心から気持ちよく共存できたらいいな


しかし、植物は「共存」の天才だ。


「そちらさんがそう来るなら、

私はこうしますね、こう変わりますわね」と

自分の形をどんどん変えて共存していく。



邪魔者のいない場所で

のびのびと腕を広げて生きることだけが

必ずしも「幸せ」ということではないのかもしれない



兎にも角にも、木々たちは

ものすごい深い考察を与えてくれたのでした。


葉っぱちゃん