「言わなきゃわからない」
というのは本当にそうなんだけど
何もかも言語でコミュニケーション取ってるわけじゃないなと
思う瞬間がたまにある
こう言っていた、その裏にはこんな気持ちがあったのかもしれない
あの人ならこう考えるだろう、と想像で埋めて、
それを踏まえて、
次の言葉をかけられるような人もいて
そういう人と話すと、ああ、言葉は氷山の一角なんだなと
海の下で通じ合えている部分があるような気になる
あえて、言うに及ばず、という気持ちになる
言わずもがなの美というか
それも結局、こちらの推測だから
本当のところはわからないんだけどね。
そういうものを温もり、と呼ぶのではないかしらと思ったり
「それもこれも自分だから。
恥晒しの、しょうもない、
いつまでたっても成長しきれない自分だとしても
一生付き合うのはこの自分だからね、
やっちゃったことは諦めんさい」
と、自分の肩に手を置くまでの時間は短くなったのです、昔よりも。
さっぱりと諦めて、という。
自分からは、逃げられないから
心の動きや愚かさが、自分で何もかもわかってしまうという点で
自分という人間が一番厄介なのだけれども、
それも含めて、この人はわかってくれているのだな、
許容してくれているのかもしれないな、、、
と勝手に思う瞬間もあって。
感謝の気持ちをひたすらに。
泥の中に咲く蓮の花
きれいな言葉をもらったときは
泥をあえて言葉にする必要はなくて。
花の言葉を返したい
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