誰かが亡くなったあと、
その人が担っていた仕事の席には、
当たり前のように、別の人がすぐに座って
代わりの仕事を担っていく。
そのうちに「代わり」でもなくなっていくのだろう
空いた席のことは、
誰かがやらなきゃいけないんだから、仕方ない。
でも、当たり前の空気でそうなることが、
少し寂しくなったりして。
どんなに特別に見えても
代わりがいない仕事、はないもので。
そう思うと、
自分の存在意義を「仕事」に求めてしまうのは
寂しいことのように思えてきて
じゃあ、何に生きがいを持てば寂しくないのか?と言えば
そんなものは、多分ないのだけど。
「与えること」に生きがいを持つのが
一番悔いがなく、
さっぱりすっきり、居なくなれるような気がしたり。
スキルや功績を評価されて
「必殺仕事人」として記憶に残るより
大したことなくても
「たくさん思い出してもらえること」が
やっぱり一番、寂しくない気がしたり
その人の「代わりの仕事」ができる人はたくさんいても
その人だからこその「何か」が、誰かの心に残っているとしたら
それは少しだけ、寂しくない気もする
それまでと何もかも同じ場所で
その人だけがそこにいない、という
不思議な寂しさ、感傷
何かと応援してもらっているようで心強かった。
かの人は、幸せに逝ったのだろうかと
思いを巡らせる
理性的に考えれば
ただ一つの生命が途絶えた、ということでも
魂とやらは、
人の心にちょっとずつ配分されるみたいに
残る
こんな私ですら思い出すのだから
きっと、今日もたくさんの人に思い出されているのだろう。
それこそが「遺したもの」
死んだ後に幸せになるために、努力するわけではないけれど
やっぱり生きている間は
「心を尽くすこと」を諦めてはいけない
ようにも思えた
今死んだら、悔いが残っちゃうと
思うような振る舞いを
たまに
してしまうわ
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