明日の私に期待する



今日中に終わらせるつもりだったことを終えられてなくて、

どうしても、それ以上の気力体力がないとき、

「明日の私に期待」といってパソコンを閉じる。


要は先送り、なのだけど・・・


先送りというワードは、もともと私の辞書にはないはずなのに!

夏休みの宿題は、休みの前に大半終わらせていた人間ですらこうなっちゃうのが

若くもない社会人の、大変なところです


明日の私に期待して、途中でやめて、

明日の私も、その明日の私に期待し続けていたら

永遠に終わらないのだけれど、


でも、今までのところとりあえず、

どこかの日の「明日の私」が頑張ってくれて、なんとかなっている


「明日の私よ、どうにかしてくれよ」と

見えない誰かの肩をポンと叩いて寝られるのは、いつまでなのだろう


「明日の私もやれそうにない」と

明日の私に期待できなくなったときが、

人生の畳みどき、なのかな?


いろいろと下がりカーブな年代だけれども

まだ、明日の私には期待できる。



でも、ふと思う。

明日の私なら、なんとかしてくれる?

なぜ、そう思えるの?


明日の私は、今日の私より、

なんとかする力、を失っているかもしれないのに。


風はもう、遠くに、

吹いていってしまったかもしれないのに――。


心は、本当のところでは、

何を諦めて、

何を諦めていない、のだろう?


諦めてなくても、自分にはもう余力がないから、

諦めたことにする。

それは良い妥協ですね、と

道端の猫がにゃーこら


今日、今すぐ、なんとかしたい、

吹いていない風だって引っ張ってくるんだ、

そんな、パンパンのエネルギーがあった頃も

それはそれで懐かしいのです


まあ、それはそれで

「それはそれで」

良い妥協のふりをしている、あなたの口癖