15周年ワンマン覚書①「ベランダ・モノローグ」

「星を愛するのに、その数を知る必要があるだろうか。
男性を好きになるのに、彼の全てを知っている必要があるだろうか。
嘘も夢もさらけ出して、彼は、 ありのままの姿で君の前にいるというのに」



―アンドレ=コント=スポンヴィル

今年、私は大いにフランスにかぶれている。 
初めは、言葉の、音の響きが好きで。
知れば知るほど、強くて美しい女性たちが、素敵に見えて。
自由と芸術をどこまでも愛する、その感性が好きで。

そして、哲学や詩にたどり着いてしまった。
意思のあるロマンティシズムで語られる、複雑な思考回路。

「偏屈で結構!」と言わんばかりの。

…大好物。

(ちょっとやばい人に、なりつつあるのは自覚済み。笑)

***

先日、アンドレ=コント=スポンヴィルという人の本に、
こんなことが書いてあった。

「愛は孤独の対局じゃない。愛は常に孤独、なんだけれども、
それは、どんな孤独も愛を含んでいるから、ではなく、
それどころか、あらゆる愛が孤独、だからだ。



(中略)



自分の周りに、あるいは愛する対象の周りにある、

この「砂漠」こそが、愛そのものなんだ。」

私はいつも、この「砂漠」に、
焦点を当ててきたように思う。
明るい楽しい曲にも、
ちょっとだけ「砂漠」を混ぜ込んでしまう。

だけど、どうやら、世の中的には、
「砂漠を見つめたくない人、は
少なくないらしい」と知った。

「そんなものを見つめるのは、
無意味で愚かなことだ」とか。
「虚無を見つめられるのは、
あなたが特殊で強いからだ」とかとか。

でも、私は気づいたのだ。
(フランス的偏屈さから言えば)
私はもしかしたら、
その反対側を見たいがために、
「砂漠」を、大事にしているのではないかと。

砂漠を歩いているからこそ、
そこで見つける「星」は、一層、
輝いて見えてしまうのかも
しれないのです。

二階の窓 広がる宇宙
あなたと偶然会えた
星を掴んでしまった私
あしたにも消えちゃいそう

強く強くなりたいの
ベッドの舟から落っこちないように

―「ベランダ」2008年発表