私の心の詩です
凛とした女の子におなりなさい
阿久悠
女の子だからといって
ヨワヨワしていたり
メソメソしていたり
何かというと他人を頼りにして
愛しいと思われてみたり
そんな子である必要はないのですよ
助けてやりたいとか
庇ってやりたいとか
守ってやりたいとか
男にとってはいい気分だろうけど
そんなもの 美徳でも
魅力でもありゃしない
いいかい 女の子だって
強くってもいいんだよ
粗雑であったり
乱暴であったり
不行儀が平気は困るけど
ちょっとした 挨拶の誠意と
心地よい微笑の会釈と
問われた時にハイと答える
意志の強ささえ感じさせれば
強くっていい
男は自分が弱い者だから
すがりつく子を抱きしめるが
そんなのは三日だけの愛しさ
あとは 只の重荷になる
傷つけないようにハッキリと言い
侮辱を感じさせない態度をしたら
あとは 自由に生きなさい
自由で強くてやさしい子を
凛としていると言います
凛とした女の子になりなさい
凛とした…
近頃いないのです
自分は甘えん坊なのかなって、
思ったり思わなかったり、みんなはしないかな。
大人になるほど、甘えていいTPOが分からなくなってることにも、気づく。
正直すぎて困ってきた人生なのに
「素直」が上手に出てこなくなったりもして
「誰かを頼りにして、愛しいと思われてみたり」というのも
一つの、女の子像だと思う。
そうしてみたいような、したくないような。
できないような。できちゃうこともあるような。
だけどとにかく、自分って強いのかな。。。って思うとき、
女子はちょっぴり、孤独になってしまうのだ。ふしぎ。
詩の中にあるように、
「すがりつか」ないと「抱きしめられない」のかな?って、それなのかな。
「君はそれでいいんだよ」って言ってくれる存在が、
どんな女の子にも必要なのかもしれない。
(きっと男の子だって肯定してくれる存在は必要だけど、、、
仕事の成果で満たされる割合が、女の子より大きいのかも)
阿久悠さんは「男は弱い者だから」って書いてるけれど
凛とした女の子は、男の子に何か、してあげられるのかな。
どんな愛情、してあげられるかな、
っていうピュアネス手練手管ね(意味不明)
とにかく、この詩は
ある種の女の子への応援ソングだと思うのだ。
自由で強くて優しい子。
マナーをもって、笑顔でいて、侮辱せずにされずに、主張はできる。
理想か。時々でも、そうできたらいいよね。
ガールズ、がんばろうねー!
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