「星を愛するのに、その数を知る必要があるだろうか。
男性を好きになるのに、彼の全てを知っている必要があるだろうか。
嘘も夢もさらけ出して、彼は、 ありのままの姿で君の前にいるというのに」
―アンドレ=コント=スポンヴィル
今年、私は大いにフランスにかぶれている。
初めは、言葉の、音の響きが好きで。
知れば知るほど、強くて美しい女性たちが、素敵に見えて。
自由と芸術をどこまでも愛する、その感性が好きで。
そして、哲学や詩にたどり着いてしまった。
意思のあるロマンティシズムで語られる、複雑な思考回路。
「偏屈で結構!」と言わんばかりの。
…大好物。
(ちょっとやばい人に、なりつつあるのは自覚済み。笑)
***
先日、アンドレ=コント=スポンヴィルという人の本に、
こんなことが書いてあった。
「愛は孤独の対局じゃない。愛は常に孤独、なんだけれども、
それは、どんな孤独も愛を含んでいるから、ではなく、
それどころか、あらゆる愛が孤独、だからだ。
(中略)
自分の周りに、あるいは愛する対象の周りにある、
この「砂漠」こそが、愛そのものなんだ。」
私はいつも、この「砂漠」に、
焦点を当ててきたように思う。
明るい楽しい曲にも、
ちょっとだけ「砂漠」を混ぜ込んでしまう。
だけど、どうやら、世の中的には、
「砂漠を見つめたくない人、は
少なくないらしい」と知った。
「そんなものを見つめるのは、
無意味で愚かなことだ」とか。
「虚無を見つめられるのは、
あなたが特殊で強いからだ」とかとか。
でも、私は気づいたのだ。
(フランス的偏屈さから言えば)
私はもしかしたら、
その反対側を見たいがために、
「砂漠」を、大事にしているのではないかと。
砂漠を歩いているからこそ、
そこで見つける「星」は、一層、
輝いて見えてしまうのかも
しれないのです。
二階の窓 広がる宇宙
あなたと偶然会えた
星を掴んでしまった私
あしたにも消えちゃいそう
強く強くなりたいの
ベッドの舟から落っこちないように
―「ベランダ」2008年発表
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