「自分の遺体を解剖して 人に見せるのが 詩人だ」
夏目漱石さんが
そんなことを言っていたと聞きました
ぶざまな内蔵も、生きた証も、喜怒哀楽も、
切り刻んで、他人に見せる。
自分ですら、自分を少し距離感を持って眺めている。
―それが詩人だと。。。
そして、一緒にこんな言葉も知りました。
「人は 喪の途上にあっても 創造的でありうる」(野田正彰さん)
辛いこと、悲しみ、ネガティブなところから、立ち直っていく瞬間に、
希望が生まれたり、人の美しさがある……という意味なのだけど。
なんだかとっても共感したのでした。
***
詩人、なんぞと名乗るのは畏れ多いのだけど
(自称ポエマー、でいるのは自由だけど笑)
特段、何も決めてはいない日々のなかで、
唯一決めていることは、「何か」を書き続けよう、ということだけ、かもしれませぬ。
今年も残していきたいなと思います。
自由に。熱心に。こつこつと。歌にもしたりして……
「私ってなんて頼りないんだろう」
それを噛みしめることが
生きるということ
親しい人たちの顔を浮かべる
そうね
頼りないけど
私まあ大丈夫
頼れないけど
まあ大丈夫
選択はいつも人生を迫る
選択こそが人生で
過ぎてから振り返っても やっぱり何もかも遅いの
それなのに ゆらゆら迷って
ねえ また自分の決めた道を行くの
カーブを切りきれないのは 臆病だから?
そうかもね でも仕方ないことね
すべてを賭けられないほどには 大切なものがあるってことだわ
今のあなたには
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