人は生まれながら葛藤的に


多くの動物や 幼少期の子どもは

「自分を客観的に見る目」を全く持ってないんだって

だからあんなふうに、無邪気


大人が総じて目を細めるのは

自分たちは 自分を客観的につい見てばかりな

理性いっぱいの世界にいて


だからこそ、人の目を気にしない

子どもや動物の無邪気さに心が洗われてしまう

そういうことなんだなあと

しみじみ


そんな子どもも

「他人の目」を知ってしまったときに

葛藤、がうまれ始める


思春期で、それがいっぱいに増大して

大人になって折り合いがつく……?


もちろん客観的な目は

必要だからこそ得ていくのだし

「いつまでも子どもの心で、なんて言ってんじゃねえよ」って

キョンキョンも怒ってたけれど(笑)

そのとおりだし(by.最後から二番目の恋)


それでもたまに

曇りのない無邪気さに

妙に惹かれてしまうのは


もう なくしてしまったからかもしれないし

本当は心の奥にあるのに 取り出せなくなってしまったからかもしれないし

鈍感ぶる癖がついてしまったからかもしれないし

女だからかもしれないし


(挙げ句 からっぽの がらんどうの

 ただの容れ物になってしまいたいと

 モノになる妄想をしたりして。

 それは人形 ドール的な 退廃的なあこがれ?)



自分の心に敏感な人なことは

あまり よいことではないと


必要もない感情を知るばっかりで

自意識過剰になるばかりで

あまり よいものではないと


思うけれど


でも「自分の心に敏感な人じゃないと

他人の心も、真に理解はできないものですよ」という見解もあり


あなたが もてあます その敏感さも

すこしは役に立っている部分が

あるのかもしれないよ

「人間は生まれながら、葛藤的にできている」

フロイト先生は言っていますが


あるべき自分 あるままの自分 ありたい自分

ぐちゃぐちゃとなるのは


自分を強烈に愛していながら 強烈に嫌ってもしまう

不思議な、人間の「葛藤」のしわざ


興味をなくせばいいのよね 自分にね

でも完全になくすことはできないはずで


きっと多かれ少なかれ、

誰だって葛藤、してる


ドードーと飼いならしつつ

でもそんなにはたぶん

めんどくさくない人間のフリなんて、しなくていいのよと

叫んでみたくなったり


どこへともなく